考えることに就いて (of Thinking)
1
私はここで思考ということについて、多分とても個人的なことを書くが、それはこの個人性が普遍性へまで突きつめられていると確信しているからだ。むしろこの普遍性がないならば、私の思想そのものの普遍性すらもなくなってしまう、私は思想というものを少なくとも其のくらいは、個人的なものとしているはずである。
思想は常にそれをする者にとって、不可避にやってくる。私は昔そう書いたことがある。 私の基本イメージとしては、思想というものは必ずや不可避に遣って来る。此の点で多くの場合異論に出会う。詰り、「(私が取り組んでいる或る)其の様な問題は考えるに値いしないのではないか」、若しくは、「(私が取り上げていない或る)此れ此れの問題を考えずして果たして思想していると言えるのか」と。大体は此の二つに尽きる思う。此れ等の問いには「思想は不可避に遣って来るし、又必然的にしか来ないのだ。だから問いの正当性は洞所まで問いに追い詰められ、洞所まで問いを追い詰めたかという事以外に基準は有り得ない」と答えるのみだ。 この基本のイメージは、今でも全くかわっていない。思想は私にとって生きるか死ぬかの問題だったし、現在までそうである。切迫していないような思想は全く不要だ。思想を持っているほうが価値がたかいということはありえない、考えなくとも生きられるのなら、そのほうがいいにきまっているからだ。
私が空想的なことを中心にまわるようになったのは、たぶん小学生のころだが、家庭の圧迫からのがれるためだった。いわゆる教育方面からの圧迫で、生活にはべつに困っていなかったし、そのためもあったのだろう、いざとなれば帰れば食うにはこまらないという安心感も手をかしたに違いない。早い青春だったといえばいえる。学校の図書館に通い詰めたのはこのころだ。でも特に内向的だったかというと、そうでもなくて、休み時間に図書館にいって次の授業をよく遅刻して怒られていたし、学校裏の茂みを棒切れをもって遊んでいたのも日常だったし、いたずらずきで、校内の人工の池の水をサイフォンの原理とともにホースで抜いたりしてこっぴどく叱られたこともあった。また放課後も親のいいつけに従ってまっすぐ帰った、なんてことはまずない。それでもこれらの遊びをしているときはいつも一人だたったような気がする。文字通り一人で遊んでいたこともあったし、だれかと遊んでいたときも、少数の場合を除いては、孤独を感じていた。異和を感じたがっていたともいえる。だがそのころから常識を無視する癖というのはあったから、あながち根拠なしともいえない。皆からすると、こいつは安心して付き合えるが、仲間とするには迷惑だということだろう。今はこの性格にさらにとことん磨きがかかっている。友達は少なかったが、仲良くなったらどこまでも仲がよかったから、自分は好き嫌いが激しいというのが正確なところかもしれない。他人や自分に期待しない癖はしっかりついていたし、それで周りの評価は大してあてにしていなかったから、立場に弱い者に好かれる傾向があった。つまり此の世を信頼していなかったわけで、怪異などに魅かれていたが、それすらも所詮は此の世のうち、安心できる場所はもっていなかったらしい。
親の教育の成果にまちがいなく、中学は有名私立校とよばれるところに入学できた。この年は正規合格者が大量にほかの学校へ逃げて、この中学の補欠合格者は普段の十倍ぐらいの人数になったのだが、それにぎりぎりで引っかかったのである。こうした奇想天外な運のよさは、このときだけではない、なぜか着いてまわっている。すくなくとも未だ悪い人というものに出会ったことがない。おそらく私が運がいいわけではないのだろうと思っている。出来事は幸運も悪運もどこにも無差別にやってくる。そのやってきたなかからどれをどんなふうに拾い上げるかで、その人の運は決まるはずだ。出来事じたいには何の良いも悪いもない、ただその人の幻想や周りとの関係によってのみ価値は決まる。
この学校がまた生徒を遊ばせておく学校で、なおかつみんなは成績がとてもよいのだから、私は自分が頭は悪いのだという自覚しか育たなかった。最後まで下位だったし。
中高の時期は吉本隆明の著作と出会えたのが一番大きかったか。家出を繰り返しもしたし、プログラミングに嵌まったりもした。パソコンはもっていなかったから、紙にコードを書いてプログラムを組んでいたことを覚えている。
考え事としては、逃げとしての空想から、怪異についての空想、それからだんだんと現代思想のほうへと手を伸ばしていった。というより、私は異界の根拠が欲しくて哲学を学んできたといって、間違いはない。だから私の思想は異界性に根拠を置いている。
家庭の雰囲気と徹底して摩擦していたというのもある。本当に、どこか安心できる帰り場所を作らねばならなかった。だがどんな世界も自分をうけいれてはくれないという予感はあった。結果としてえらんだ道は、走りつづけることだった。世界がないところに走りつづけよ。世界を殺すためにこそ、そして自分や他人や世界を殺戮しないためにこそ思想せよ。
2
私がまさに私の思想だと言えるのは、いまのところでは永遠極限だけだ。たしか現代フランス思想に親しみはじめた頃だったと思うが、わからない。どこからやってきたかもわからない。ジャック・デリダや西田幾多郎に魅かれたのもそもそも持ち前の異界性向のせいなのだろう。そうした性向のなかからどこからともなく現れたとしか言うことができない。 仮在するもの:法則、小説世界、知ってるだけのもの
実在と仮在に違いは有るか?
仮在と実在は何を以って区別されるか?
これは当時つけ始めたノートの最初の一日分である。此の經驗という概念をもとに進めようとしていた考えが独我論でにっちもさっちもいかなくなり、思考の整理のために書き出したノートだ。此の經驗というのは、いま感覚し行為しているこの世界である。認識論的な概念で、哲学が変にこねくりまわしたりする前の世界とでも考えればよい。問題は此の經驗を此の「自分の」経験と同一視してしまったばあいである。ルネ・デカルトのコギト・エルゴ・スムのようなものだから、そういうまちがいはよくあるものだ。すなわち他の経験はどう在るのか。そのころ悩んだ内容でいけば、他の人が行った物理の実験結果を自分が全く同じ実験をやらなくても信頼してよいのか。 解決は単純である。此の「自分の」経験から「自分の」を外せばよい。此の經驗に自分のも他人のもない。わたしたちはふだん経験を、これは自分の経験だといつも考え続けなければいけないということはない。そう考える時もあるが、そんなことを考えなくたって、わたしたちは感覚しながら生きているのである。 こういう自分と他人を本質的に区別しない思考をたしかに身に付けたのはだいぶ後になってだが、独我論の問題はもっと早く終結した。どうしてそういうことができたのかというと、絶対の確実として提出した此の(自分の)経験じたいを疑ったのだ。此の(自分の)経験は確実で他の経験は不明だというが、それは本当か? 此の(自分の)経験だってずいぶんと不明なものじゃないか。その正当性はなにに依るのか?
なににも依らないというのが答えである。自分の経験と他人の経験との正当性にはなんの差異もない。あるとしたらそれは情況に於ける関係のみによるはずだ。
こうした確実な思考を追おうとするもうひとつの概念が永遠極限だった。異界ということを矛盾から詰めようとしていて、矛盾はどこまで行っても追いつめられない、そのどこまでも行こうとする極限としてのみ想定されうるという確信から出てきた概念だろう。永遠の否定性だ。それはすべての確実性を解体する。永遠極限は世界のどこにも無い。だが世界でないどこかに在るのではなく、世界でないどこにも無い。こういう迂遠で比喩的ないいかたをしなければならないのは永遠極限の本質に属する。世界でないところにあるのだたしたら、「世界でないところ」というもうひとつの世界に於いてあることになってしまう。このジレンマは「嘘つきのパラドックス」とおなじ、言語の関数的性格に原因がある。「嘘つきのパラドックス」とは、「私は嘘しか言わない」という言明のことだ。ここで命題は可能的には真(正しい)か偽(間違い)しかありえないものとして、嘘とは偽な命題であるとすると、「私は嘘しか言わない」という命題は、それが真だと仮定すると私が言うことは嘘なのだから仮定に反するし、かといってそれが偽だと仮定すると私は本当しか言わないのだからまた仮定に反する。――と、これは詭弁であって、「私は嘘しか言わない」の反対は「私は本当の事も言う」だから、この命題は偽が正解である。だがこのパラドックスはもっと正確に定義できる。 ある命題$ fがあるとして、この命題を、
$ f(x): 命題xは偽である。
と定める。この命題$ fは真であることも偽であることもある。たとえば$ f(自然数の体系に於いて1+1=2)は1+1は2なのだから偽であるし、$ f(すべての赤いペンキは乾くと青になる)はそんなことでは壁に色など塗れなくなるから真である。
ここで$ fもひとつの命題なのだから、
$ f(f)
という命題が考えられなければならない。こういうところが言語の関数的性格なのだが、$ Not(f)はこんどこそ「命題xは真である」なのだから埒があかない。これがラッセルのパラドックスの一般的な形である。
永遠極限はつまり$ f(f)であるが、こういうものを考えなければならないのは思考の本質的なところだ。思考するとは「思考不可能なもの」という思考でしか捉えられないものを考えることから常に始まる。それは非常に純粋なパラドックスだ。だがそれだけではない。私は永遠極限がまだ解らないといったがそれは冗談ではない。それは私の性向を本質としており、つまり永遠極限は概念ではない、なによりも、癖である。思考の確実性などありえないという保障だけをこの癖はしてくれる。思考だけではない。なにごとかの確実性はありえない。あることは前提として必ず裏切られる。物には必ず裏があるといってもいい。裏の裏もある。一番の裏は永遠極限へ飛び去ってゆく。逆にいえば、表(それは既になにかの裏である)は永遠極限から常に既に飛んできたものだ。真/偽に於ける偽とは真の対義語でも要らない邪魔者でもない。偽とは真を成り立たせる力である。 永遠極限は物事を、世界をこんな風に考えさせるから、世界という表を無数の裏の一つとして、すべてを形而上へ引きずりあげる。もっと過程を正確にいうならば、永遠極限という癖を持った者が思考すると、行うすべての思考を偽であると否定せざるをえなくなる。そうなれば破滅するだけだ。すぐに思いつく逃げ道は、永遠極限を捨ててしまうことだが、この者はそんなことも間違いだということをよく知り尽くしている。捨てられるなら初めからそんなものは考えていない。破滅のなかにある唯一の進みうる道を発見できるほどこの者が慎重ならば、そして永遠極限をそれほど癖として身に付けているのならば、全ての思考は偽であることを前提として全てを比喩として、妄想のイメージとして語るしかない。いわば世界全体が思考でしか捉えられないもの(思考不可能なもの)へとなる。思想全体に永遠極限を摺り込むことになるのだ。自然像学。自在視線。存在倫理。 3
思考は現実から離れてゆくのが常である。というのも、思考は現実ではなくかならず観念に基づいており、観念とはそれ自身で一つの内的な世界をもっているからだ。べつのいいかたをすれば、生命とは自然からの遅延であり、その感覚と行為が自然から離れ、それ自体で独立な位相をもちうるようにまでなったのが観念の段階である。いわば思想はそれの観念を自身の自然として立つことができる、またそれ以外の立脚のしかたはありえない。こうして思想は現実から疎外される。しかし、それでも現実はやってくる。なぜなら思想もはじめは現実から出てきたものなのだし、生活するというのは現実に於いて生きることだからだ。むしろ、どんな自然であってもそれと立ち向かわざるをえない自然のことを、現実だと言えばいい。さすれば現実と齟齬するような思想は役に立たない。道は二つある。現実を徹底的に無視すること、現実を思想の視座に常に繰り込むこと。ここではっきり言わなければならないのは、思想の自然な流れは前者、現実を無視することだ。しかしそれでは生活していることには関わらないものになるし、なにより、実感から離れた思想はそれ自身の正統性を思想自身に求めざるを得ないから、思想同士の意味のない根拠争いをすることになる。これらの思想には思想の中からの視線しか持つことができないからだ。現実を思想に繰り込むというのは、現実自体を思想の自然としてゆくこと、自然から思想のほうを見ることにほかならない。一度は思想として現実から飛翔した者がふたたびそのまま現実へ還ってくること、還りの視線、それは永遠極限からの視線でもある。またこの視線は、思想ではなく自然をその身体としているから、思想の観念に対して構図として先験的である。いわば思想の観念から自在であるといってもいい。中からの視線はその視座が思想の観念に依っているから、観念は現実にとって先験的であると錯覚してしまう。実際は逆なのだ。どんな思想もその文体をもっている。思想の身体といってもいい、それは思想が依って立っている視座という自然のことだ。その視座じたいを見る視線というものが必要なのだ。思想を読むということがその思想を自ら書くことと同値でなければならない、つまり書くように読むということ、自分がそれを書くとしたら、自分はいったいどう考えるかを考慮に入れること。作者の意図なんてものを考える暇があったら、自分が作者になって自分の意図を考えればよい。この二つは決定的にちがう。なぜなら前者では作者が自分に対して先験的にあるほかはないのにたいして、後者では作者のほうが自分よりあとからやってくるのだから。 ここでたぶん「自然」ということをもっとはっきりさせておく必要がある。
たとえば二人の人が対峙している状況を考えてみる。AはBを見るとき、Aの視点で見ている。決してCの視点とかB自身の視点から見るということはありえない。これはBをAの世界に引き込んで見るということだ。Bの側からしてもおなじことが起こっているにちがいない。この構図はAとBが人と猫だった場合などもかわらない。
でももし
私が私に成れて
私があの人に成れるのなら
私は二人に成れるのかと云うと、
そうではなくて、
そこからまた
あの人が私に成らなければならないし、
だけれども
それは絶望だ
麻井シキ「残響(――)」抜粋
これはAとBとが人間と自然だったときでもおなじである。私は私に成れて、私は相手に成れるというのは、逆にそうならなければ私が相手を了解することはできないという不可避でもある。人間は自然と関わるとき、相手とする自然を自分の〈非有機的肉体〉とし、逆に自分を相手とする自然の〈有機的自然〉とせざるをえない。ちょうどカール・マルクスが言った〈疎外〉の構造だ。動物ではこうはいかない。なぜなら動物は観念をもたないからだ。動物は自然とかかわるとき、自分がはじめから対峙している自然の中に組み込まれているものとしてのみ関わる。しかし人間は自然からはなれ、自身の観念を第二の自然としているから、相手を自分とは別の内的世界をもっているものとしてかかわる他はない。植物はもっと自然と一体のままだから、自分の内的世界がほとんどそのまま自然の方へ向かっている。 ここでは視座の階梯のようなものが考えられることになる。この「視座」とは意識ではなく、生命の走行する線の基だと考えてもらえばいい。まず自然の視座というものがある。これは視座としては一番原型的なものだ。つぎに植物性の視座がある。これは自然性の中に埋め込まれていて、それと並走している像でえられる。生命の走行がいかなる意味でも生理過程そのものである状態だ。そのつぎの動物性の視座は、感覚と行為の回路によって内的世界は生理過程からもうかなりはなたれた状態にある。だが動物性は自然と不即不離の関係にある。それ以外には於いてある場所がないからだ。この状態が視座の人間性と異なる点は、動物性は自己の根拠を捉えるだけの抽象性がないところだ。抽象性とはそれだけを周りとは自在に扱いうるという性質で、それはつまり、自己自身だけでで根拠関係を完結できることでもあるから、人間性は自身の根拠を自身の観念にもとめることになる。感覚と行為は外界に対象をもたずとも、感覚や行為の像それ自身にむけて動作できるようになる、これは世界全体が観念のまえには世界の像としてのみ姿をあらわしうるからだ。内的世界がすべてになるとも極小になるともいえる。
像の特徴は、平面性ということだ。減次元性といったほうが正確かもしれない。
たとえばここに一匹の猫がいるとする。この猫について言葉で像を描いてみる。この猫はキスケと呼ばれている、白地に茶色の斑だ、可愛いと思う、などなど。言葉でなくともたとえば絵でもいい。映像でもその三次元映像とかでもいいのだ。この像でわたしたちは充分に一匹の猫を想像することができる。しかしこの想像による猫の像は、他の猫の個体との取替えがきくようになっている。これはわれわれがこの像を或る一匹の同一の猫として捉えているところからきている。つまりわれわれが或る一匹の猫を想定するとき、わたしたちはその猫が時間を経ても同じ猫でいるものとして捉える。或る時間と別の時間とでその猫が同一のものとして反復している。空間とは無時間のことであり、時間的なこの反復と空間的な反復は可能性ではかわらないから、時間的な反復が或る時間のこの猫と別の時間のこの猫との間にあるのと同様に、空間的な反復はこの猫と別の猫との間に渡る。像の存立は自然と乖離しているから、その猫の自然の存立にはかかわらない。その代わりに反復という観念の次元を得る。
この構造を正確に次元のイメージで描くこともできる。観念の視線は自然からの生の次元(內包視線)を視野の外に置くかわりに、俯瞰視線(世界視線)を背後に持つ、というふうに。思想するとはそんな世界視線から考えてくることにほかならない。 ではそのような、自然を切り捨てる視座からどう思想は自然を考えるのか。それには仮想的な自然を考えて、それを思想へ入れ込み続けるしかない。物事の形式だけではなくて、その物事が出てくる背後を考えなければならない。
4
ある時代にたくさんの思想があり、これらの思想が流通しなかったり、流通したりする。高度な思想が流通するのかというと、そうではない。それなら古代ギリシャの哲学ぐらいが一番流通していいはずだ。でも今、個人でも社会でもそんなものを流通させているところはない。ある総体があり、そこで思想が流通する、つまり普遍性をもつ基準がありうるとすれば、総体の持つ文体(資質・時代性)と思想の持つ文体(資質・時代性)とが一致するときだ。つまり思想は、それが流通する場所である個人や時代の像を常に繰り込んでいなければならない。
この生活の原像を繰り込むということはもっといろんな方向へ拡張できそうなきがする。
たとえば極端な状況として恋愛の悩みを考えているとする。ここで自分に、恋というのは強迫神經症の一種であると言ってみても、それが正しいとしても詮のないことだ。むかしこういう説を唱えていたこともあったが、役に立たないし面白くないという理由で捨ててしまった。せめて恋愛とは相手への期待であり、どうしようもなく偶然に始まり必然に続き不可避に終わる、ぐらいは最低いわねばならない。そして恋とは本質で片想いであり、それゆえに絶望でしかありえない、もし両想いなぞというものがありうるとすればそれはどちらかの片想いが相手の偶然をこちらへ向かせた時だけだと、相手をまず恋愛の対象として認めるのが最初の条件であり、それまでの感情は尊敬かも可愛いなかも無関心かも反発ですらあるかもしれない、だから恋愛の最大の条件に「(地理的な)近さ」は必ずあるのだと、相手の存在自体に恋するなぞは、どうしようもないという点でたしかに恋の本質に沿っているが、それゆえ相手の一切が想いの内実にかかわりが無いのだから相手に対する失礼さでは極めつけで、恋に於いて相手の何が好きだとかは全て後付けにすぎず、可愛いなとかの感情を恋だと取り違えているほうがまだ相手を見ている点でずっとましだということ、惚れることと好きになることと恋愛の対象と認めることとは全部いつも別々にやってくるほかはない、など。 また「なぜ人を殺してはいけないのか」という倫理の問いについて、社会の成員だからとか法律で禁止されているからなどなど言っても全く意味がない。少なくともこれで腑に落ちる人がいたらその人の思想を私は欲しい。今の所この問いに対してわたしが言えるのは、倫理はその条件としてひとつの生命性(深さ)をひとつの尊厳とすること、この関係はかならず一対一だから、一人は一つの尊厳しか担うことはできないがゆえに、人を自分を含めて一人以上殺すことはできないのだ、ということだ。
もっと別のこともいえる。
たとえば家族のこと。親-子のかかわりが家族の大切なところで、でもこの間の倫理の世代的な異なりが、人類が違うというほどにまでなっているのが非常な問題である。
たとえば価値のこと。価値の量は近代までは抽象的人間の労働時間が基礎になっているというマルクスの描像でまったく問題はなかったが、しかし現在では生産と消費の乖離、つまり流通が価値の重要なところになっている。
もっと原理論で、たとえば共同のこと。共同がありうるためには様々な個人が異和をかくして集まる他はない、ゆえに個人はそれぞれ違うのだが、共同は全個人を条件としては同じだとみなさざるをえない、これが官僚制の起源であるし、だから共同は共同内での異和への近親憎悪により成立する。 不可避なものとして、自らを間違ったものとして提示すること、が〈永遠極限〉という癖である。思想とは絶望しかできない者が仮構の希望にすがるための足掻きである。 生活の原像とは生活平面での視線(普遍視線)からの視野を思想の流通の場所として自覚的にみていくことである。もはや思想を世界視線だけで考える時代ではない。そしてまた、自分も生活していることをも。 付録「序説第五版」結論要約
後書き
この文章をここに書けたことをとても幸運に思っています。初めは啓蒙的な感じになってしまうのかなー、とも思いましたが、書き出したら一行目からそういう風にはいかない、本気で書くほかはないことになってしまいました。労力はかかりましたが、内容として書けなかったこともあるとはいえ、僕がいままで書いてきた事の総まとめになりました。自分の文章を総見直ししましたし。これが次への足がかりとなれば自分としては充分です。僕としては珍しく、他の方の文章を読み解く部分が一つもありません。
この文章で僕が一番いいたかったことは、最初の引用だけで尽きています。むかしの「序説第一版(前)」の最初の一項なのですが、よくこんな頃にこんなものをかいたなぁと思わされます。むしろこの時期だけで僕の言うべき事は全部尽きて仕舞ったんじゃないかなぁとも、あと今までは惰性で追い立てられて走ってるだけですね。それでも走らざるを得ないところがひとつの運命かもしれません。しかしこの引用を見ても、吉本隆明さんの影響をよくもこんなにまで受けたものだな、と一種の感慨を受けます。彼男は僕に決定的な思想上の打撃をあたえていますから、一生その影響から抜けることはないでしょう。尤も僕はただのファンだといえばそうなのですが。
また僕は自分の思想の力だけで生きていますから、生きる為に使えない思想は要らない、そういう意味で真理の道具主義なんですね。それは全てを実感だけから語る、不可避に於いてのみ語ることでもある筈です。人は不可避に於いてのみ生きる、それが日常を生活するということ。0.2秒後の死を想え。 は、ともかく。
私の今の一番の課題は、私の思想がまだ未知なるものの出会っていないことです。今の思想では世界を捉えることはできないことだけははっきりしているのに、未知なる世界にまだ出会っていないというのは、かなり危機的な状況で、正直やばいなぁという実感だけがあります。世界を未知だとみる力がないということですから。
でも希望の感じはあったりします。